• instagram
  • LINE

© 2023 kofukudo.

最中を語る

歴史

和菓子の歴史をたどると中国より遣唐使が持ち帰った唐菓子や、鎌倉時代に栄西禅師が持ち帰って伝えたお茶とともに広がった点心などから発展したものも少なくありませんが、最中は日本の歴史が作った伝統ぶかい和菓子です。

最中(もなか)名前の由来

平安時代に撰進(せんしん)されたとされる『拾遺和歌集』(しゅういわかしゅう)で源順(みなもとのしたごう)が詠んだ一句。
水の面に照る月なみを数ふれば
今宵ぞ秋のもなかなりける

宮中で行われたお月見の宴に集まった公家達が、この句に詠まれている月と宴にだされた白くて丸い餅菓子とをかさねて「もなかの月」と名付けたといわれています。
源順が詠んだ「秋のもなか」は「秋の真ん中、十五夜の月」=『中秋の名月』のことを指しているそうで、中秋の名月と最中は大変関係の深いお菓子です。

最中の歴史

江戸時代中期に吉原の煎餅屋「竹村伊勢」で、もち粉を水でこねたものを焼き、円く切りそろえたものに砂糖をかけた干菓子を「最中の月」と呼び売られていました。今の最中種(最中の皮)に甘味をつけたようなものです。 その後「最中の月」に餡を挟んだ「最中饅頭」が出るようになり明治時代以降には、色々なかたちの最中が考案されて現在の「最中」に続いています。 この最中饅頭は、『江戸買物独案内』(えどかいものひとりあんない)という江戸時代に出版された江戸内での買い物や飲食関連の商店を紹介するガイドブックのような本に ・日本橋通三丁目の御菓子所「吉川福安」に「元祖最中饅頭」 ・日本橋東中通川瀬石町の御菓子所「林屋善助」にも「最中饅頭」 と記載され紹介されています。